パソコンの使い方は自分たちで決める

動機付けセミナーの依頼

 以前に、ある会社の社長様から、社内業務の効率化を目的にした「ファイルの整理整頓の動機付けセミナーをしてくれ」との依頼がありました。
 「社内ファイルを整理したいのだが、実際にパソコンを使っている社員がその気になってくれないと、始まらない」というのです。

 そこでセミナーを行うことにしました。
 会議室に皆が集まり、怪訝そうな雰囲気の中で、「今日から、このソフトにファイルを整理整頓して欲しいのですが、出来ますでしょうか?」と、切り出しました。
 
 すると、反応がなくシーンとしているのですが、その雰囲気から「何で、そんなことをしなくてはならないのか」とか、「しっかり管理しているよ」と、いった声が聞こえてくるようでした。

パソコンと会社方針

 そこで以下のように続けました。
 企業と辞書を引くと、利益を得るための集合体とあります。社長から、皆さまはとてもよくやっていると、伺っています。
 利益を得るために、皆さまは業務を通して日々頑張っておられるわけです。
 
 ただ、会社の共有フォルダは「どこに何のファイルがあるのかわからない」といった状況だそうです。
 これではファイルを探すのが大変ですので、必要なファイルを、必要な時に誰でも容易に利用できるようにしたいのだそうです。
 社長は、それが会社の利益に繋がると考えたそうですが、これは、会社のためにはならないでしょうか?

 もしも皆さまが、ファイルの整理に反対なのであれば、それは不思議なことです。 
 皆さまの中に会社の方針に反対したり、文句を言ったりする人は誰もいないのに、パソコンのことになると反対しているからです。
 まして、今回のことは会社の利益に繋がることなのです。

パソコン運用の暗黙のルール

 皆さまがパソコンに関して会社の方針に従わないのは、皆さまが「パソコンは、自分達の判断で使って良い」とか、「パソコンの使い方は、自分たちに決める権利がある」と、考えているからではないでしょうか。

 これは皆さまだけでなく、パソコンを使用されている方の普通の考えですが、このことは会社の方針や上司の指示ではなく、まして規約に記載されているものでもありません。
 
 ではこの考えが、どこから来たのかといいますと、おそらく、「パソコンとは、そういう使いかたをするもの」といった、世の中の雰囲気を受けたものだと思います。
 これが、パソコンを運用する上での暗黙のルールであり、パソコンを使う上での常識となっています。

 しかし、皆さまが使っているパソコンは、会社の経費で購入したものであり、皆さまが作成したファイルは、就業時間中に作られた会社の資産です。

 会社の目的は何でしょうか。それは利益を得ることです。
 では、パソコンの目的はなんでしょうか、それは、会社がより利益を生むように、業務を効率化することです。
 
 皆さまはお気づきでしょうか。
 パソコンの目的には、「パソコンを自分達の判断で使って良い」とか、「パソコンの使い方に関しては、自分たちに決める権利がある」といったことは、入っていないのです。
 このことは、パソコンの暗黙のルールが、会社の目的とは別にあることを示しています。

暗黙のルールの弊害

 今回社長に依頼された内容は、「社内ファイルを整理したいのだが、実際にパソコンを使っている社員がその気にならないと始まらないので、動機づけセミナーをして欲しい」とのことでした。

 これは社長が社内を支配している「暗黙のルール」を意識していて、「どうしたら会社の方針を実現できるか」と、腐心していたことの表れでした。
 普通のことなら兎も角、パソコンのことになると、会社の方針であっても社員は納得しないのです。

 社長にしても、パソコン導入以前なら「書類や図面を整理整頓して欲しい」と、言えば済むものを、パソコンのことに関しては、社員のコンセンサスを得ないと実現しないのです。
 
 このような事例から、パソコン使用者を支配している暗黙のルールが組織のためにならないと、お気づきいただけると思います。
  

他の人のパソコンを勝手に操作してはいけない

 「暗黙のパソコンルール」が、会社に損失を与える事例は、いたるところで見受けられます。

 ある担当者が外出しています。その時に取引先から、「外出中の担当者のパソコンに入っているファイルを至急メールで送付してくれ」と、連絡があったとします。
 現場でクレームになっていて、そのファイルを見せないと、お客様が納得しないというのです。

 すぐにでもファイルを送付したいところですが、担当者のパソコンにはパスワードが掛かっていて起動ができません。

 担当者に連絡をしてパスワードを聞き出せばよいのですが、私達はどこかに「他人のパソコンを勝手に操作してはいけない」との考えがあるので、躊躇してしまうのです。

 「他人のパソコンを勝手に操作してはいけない」というのも、暗黙のルールの一つですが、情報の連携が欠かせない組織に於いて、他者の情報端末機(パソコン)を操作することが、タブーの行為と考えられていては、組織の運用に支障を来たすのは当たり前です。

組織は内部情報の流出を推奨している

 これも暗黙のルールの一つですが、パソコンの運用は使用者に任せることが一般的です。

 パソコン導入以前に組織が個人管理を認めていたものは、筆記道具と電卓くらいでした。
 ところが今では、高額なパソコンを個人管理として、しかもそこに入っているのは、組織のノウハウや顧客情報といった重要な情報です。

 何となく存在する暗黙のルールに同調して、組織はパソコンを個人に任せているわけですが、「任す」というのは、「任された人が、自身の判断で行動することを許可する」ことです。

 このことは、パソコン使用者の判断で情報を流出させたり、販売したりすることを、組織が認めていることと同じです。

 会社役員の方は、「当社にはそんなモラルの低い社員はいない」と言いますが、会社の重要な情報を社員のモラルに任せている時点で、管理とは言えない状況になっています。

 私たちは、何となく存在する暗黙のルールに支配されているばかりに、パソコンを使用者任せにしておいて、使用者にコンプライアンスを遵守させるための課を新設するような、頓珍漢なことをしています。

組織にはびこる暗黙のルール

 皆さまの会社にはこのような暗黙のルールは、存在していないでしょうか。
 「当社にそんなルールはない」というところは、女性事務員さんの留守中にパソコンを勝手に操作しても、誰も気にかけないという会社様です。
 
 もしも、彼女が帰ってきたときに、犯罪者でも見るような目つきで睨むようでしたらNGです。
 「パソコンとはそういう使い方をするもの」といった、暗黙のルールが、御社にも存在していることになります。

暗黙のルールが存在する背景

 組織にこのようなルールが存在する背景には、パソコンと人との異常な関係があるように思えます。ここでは、その背景が何なのかを検証します。

優れた科学技術への憧れ

 自動車が誕生した時に初めて触れた人や、飛行機を初めて見た人は、これに憧れてしまうと考えました。
 当時の日本マイクロソフト社社長で、当社の株主でもある成毛眞さんに聞いた話ですが、1995年にマイクロソフト社のビル・ゲイツが来日したときのことだそうです。
 当時のマイクロソフト社はウィンドウズ95を発売したばかりであり、「マイクロソフト社が世界を変えた」といった雰囲気が世界中に満ちていた時です。そしてビル・ゲイツといえば世界一の大金持ちでした。

 そんなビル・ゲイツを伴い首相官邸を訪れ、当時の内閣と挨拶を交わした時のことだそうです。
 名刺を交換しようと、ビル・ゲイツの前に立った閣僚が、一様に緊張で手足が震えているのが、はた目からも分かったとのことでした。

 私たちは、優れた科学技術に関係する「人」や「もの」を目の前にすると、緊張してしまうようです。
 コンピューターはパソコンの登場により身近なものになりました。そのコンピューターは人類の長年の夢だったのです。
 そのために、本来ならただの道具であるパソコンを、私達は無意識のうちに夢のコンピューターとして、不当に尊重している可能性があるのです。

パソコンへの不当な尊重

 当社の話ですが、以前に以下のようなことがありました。
 ある課長のパソコンが壊れて、中の情報が消えてしまいました。
 課長のパソコンには、重要な情報がたくさん入っていたので、パソコン導入以前なら「会社の重要書類を消失した」ということで、課長は始末書を書いたはずです。
 ところが課長は照れ笑いをしていて、困った様子がないのです。

 そして「パソコンのしたことなら仕方がない」という風潮が社内にあったこともあり、課長を責める人はいませんでした。
 この「仕方がない」との考えは、「社長のしたことなら仕方がない」、とか、「部長のしたことならしかたがない」と、いうように、上司がミスを犯したときに、部下がそれを受け入れる時の思考であることを考えると、パソコンの当社での位置付けが、如何に高かったかということが分かります。

 また、重要書類を消失した課長が困っていないというのは、書類から電子ファイルになっても、情報の価値は変わらないはずですので、変わったのは課長の考え方ということになります。

 パソコンへの不当な尊重は、パソコン使用者の考え方を変え、組織の情報資産さえもおろそかにするようになっていたのです。
 

情報を囲い込む人の出現

 もう一つ注意が必要なのは、このようにパソコンが組織で高いポジションを得るようになると、パソコンを操作できる人の評価が高まります。
 すると、評価の高まった人たちの中に、更に評価を高めようとして、自分がパソコンでしていることを他の人に分からないように、情報を囲い込む人が現れます。
 
 そうして、「あの人がいなければ、業務が回らない」というところまで情報を囲み込もうとします。そうすることが自身の価値を更に上げることだと考えているからです。

 しかしこれでは、その人は良いかもしれませんが、組織は、その人が欠勤しただけで業務が滞ってしまうので、断じて看過できないのです。

 私たちは本来道具であるはずのパソコンを、不当に尊重しているばかりに、多くの不利益を被っているのです。

  

暗黙のルールの本質

 では、組織にはびこる不愉快な暗黙のルールの本質が何で、何故このようなルールが組織に存在するのかについて考えてみましょう。
 「パソコンとはそういう使い方をするもの」という、「そういう使い方」というのは、いったい、どういう使い方なのでしょう。

暗黙のルールとプライバシー

 それは、「パソコンを使用者の判断で使って良い」とか、「他の人のパソコンを勝手に操作してはいけない」というものですが、これ等は、驚くことにプライベートのパソコンの使い方と同じなのです。
 実は、暗黙のルールというのは、プライベートパソコンの使い方に他ならないのです。

 組織のパソコンを、プライベートパソコンと同様に使うことが、問題の根源だったのですが、では「どうしてそのようなことになったのか」ということについて、私達は次のように考えました。

 パソコンはアメリカで生まれ、アメリカで育ちました。
 アメリカには、プライバシーを尊重する文化があります。そのためにここで育ったパソコンには、プライバシーを尊重する文化や機能が内在していると考えたのです。
 
 それは、起動時のパスワード機能で分かります。これは、「例え、親兄弟であっても、プライバシーを垣間見させない」という、個人を尊重するための機能だったからです。
 このプライバシーを尊重する文化や機能を持つパソコンを使うようになった私たちが、知らず知らずのうちにパソコンの使い方は、「プライバシーに配慮し、個人を尊重することだ」と、考えるようになっても不思議ではないのです。

組織にそぐわないプライバシーを尊重する習慣

 問題なのは、プライバシーを尊重するという文化が、組織の文化と対極にあることです。
 組織は、みんなで協力して目的を達成するものですから、時には個人を抑えて、組織の効率化のために行動するという考えが必要になります。
 
 「プライバシーを尊重する」というパソコンの持つ文化は、何かにつけて組織の文化と衝突します。
 そして、プライバシーが優先されると、会社は不利益を被るのです。

 それでは、会社に不利益を与えるようなパソコンの使い方が、何故一般的になったかということについて、私達は次のように考えました。
 それは、パソコンが誕生した頃のことです。パソコンは、費用対効果の高さから、次第にコンピューターの中で主役の座を得るようになっていきました。
 その過程で、会社はパソコンを使える人を求めるようになり、そのような人はもてはやされていました。

 問題なのは、パソコンを使える人が、「自宅のパソコンでコンピューターを学んだ」ことです。
 その人たちが、パソコンの使い方を覚える過程で、「パソコンというコンピューターは個人が主体となって使うもの」であり、「使用者の判断でどのように使っても良いもの」であり、「プライバシーを尊重することがコンピューターの使い方だ」と、考えた可能性があるのです。

 当時は採用する側もパソコンのことなど知らないですから、パソコンを使えるというだけで、「君の技術を会社の為に役立ててくれたまえ」と、パソコンを任されたはずなのです。
 パソコンを任された人が腕を発揮するというのは、プライベートと同じ方法で会社のパソコンを使うということに他なりません。

 このような経緯により、パソコン導入期から現在に至るまで、誰もパソコンの使い方を正す人が現れずに、脈々とプライベート感覚の使い方を続けている可能性があるのです。