職場のパソコンは業務を効率化していますか
皆さんの職場では業務の効率化のためにパソコンを導入していると思いますが、果たしてパソコンは業務を効率化したでしょうか。
山梨県のある市役所ではプロジェクトチームを作り、パソコン導入前と導入後の業務の効率化を調査したそうです。その結果は「効率化していない」というものだったそうです。
パソコンは個人で管理しますが、組織は「情報を抱え込まずに皆と共有する」ことが求められます。このように組織とパソコンの関係は水と油のようなものですので、業務に支障を来すことがあるのです。パソコンを用いるようになると、次第に組織の情報が各自のパソコンに分散するようになります。
この状態では担当者が不在の時に情報を取り出せないので、取引先から依頼があっても、従来のように同僚がバックアップすることができないのです。
このように、それまで行えていたことができなくなるのは、パソコンの「個人で管理するもの」といった使い方が原因です。では、この使い方は誰が決めて、何故守らなければならないのでしょう。
それはパソコンが普及し始めた頃のアメリカの一般家庭の使い方です。
Windowsになるとパスワードが実装されました。これは当時は未だ高額だったパソコンを家族でシェアするための機能でした。
お母さんのアカウントでログインするとお母さんのパソコンになり、お子さんのアカウントではお子さんのパソコンになりました。パスワードはたとえ親子であっても互いのプライバシーを尊重するという、いかにもアメリカらしい機能だったのです。
そんなパソコンを操作した私たちは、アメリカの文化や習慣を反映した機能から「パソコンは個人で管理するもの」といったことや「他人のパソコンを勝手に操作してはいけない」といったことを学びます。そしてこれがパソコンの運用ルールとして広まったのです。
アメリカの一般家庭の使い方を、組織の使い方と考えたところがパソコン運用の問題点ですが、これは会社や上司の指示ではないのです。
誰に指示されたわけでもなくパソコン使用者がそう考えるようになったのですが、それにしても家庭の使い方を「職場で守らなければならないルール」と考えたことは、飛躍しすぎています。
実は、この飛躍したところに、パソコン運用の本質的な問題があるのです。
パソコン偏重主義
問題の本質を知るには、パソコンが登場した当時のことを知る必要があります。パソコンが登場した際には、私たちはとても大きなインパクトを受けました。
当時の人達はコンピューターのことを殆ど知らず、一部の専門家の話と考えていました。
誰一人としてコンピューターと係わりを持つようになることなど、想像もしていなかったのです。
そこに突然パソコンが現れます。予想もしなかったので、殆どの人が何が起きたのか分かりませんでした。パソコンがどのようなものかをイメージすることさえできなかったのです。
間もなくするとパソコンの話題が飛び交うようになり、これからはコンピューターを茶の間や会社で使えるようになると言うのです。少しずつパソコンを使う人が現れて、組織でも見かけるようになると「パソコンを導入すれば業務が効率化する」といった考えから、次第に組織はパソコンを導入するようになります。
パソコンの導入を任せられた人も、コンピューターの知識を持っていませんでした。持っていたのは「すごい装置らしい」というイメージだけでした。このようにパソコンは導入する前から特別視されていたのです。そして導入した組織では、高貴なものにでも触れるかのように接したのです。
私はパソコン偏重主義と呼んでいますが、パソコン登場時に受けたインパクトにより、パソコンを実態とはかけ離れたほど高く評価して、腫れ物に触るかのような関係が存在すると考えています。そして、この関係が現在まで続いてることが、業務を行う上で発生する様々な問題の本質と考えています。では、パソコン偏重主義が原因で起きる問題を見ていきましょう。
使用者の意識変化
あまり語られませんが、パソコンは使用者の考え方に影響を及ぼすことがあります。
パソコンを導入するようになると「パソコンを覚えられなければ会社にいられない」といわれるようになります。当時の一般的な考えですが、これにはおかしな点があります。普通は道具の評価は人が行うものですが、パソコンを覚えられない人を排除するというのは、道具が人を評価するのと同じですので、思いも寄らないことに道具と人の立場が逆転しているのです。
ある会社の実例ですが、職場にパソコンが入り始めると故障してデータを消失することがありました。パソコンの所有者はさぞ責任を感じているだろうと考えますが、実際は異なりました。「パソコンが壊れた」と明るく笑い、周囲も一緒に笑っています。どうも責任を感じなければならないことではなさそうなのです。
では彼らの考えは、いったいどのようなものだったのでしょう。
会社は人よりもパソコンを高く評価しています。パソコンが上位で人が下位というのは、上司と部下の関係に似ています。そのため上司のミスに部下が責任を感じないように、パソコンの故障に使用者は責任を感じなかったのです。
笑い話のようですが、これは昔の話ではありません。今も続いている問題なのです。
調査を行った市役所でも同様のことが起きています。パソコンが業務を効率化しないことが判明したにも拘わらず、改善しようとしないのです。改善しない理由は、「何をどうして良いのかわからない」といったこともありますが、「パソコンのしていることなので、私たちには関係ない。」といったように、この問題に関心がないのです。
しかし、業務が効率化しないのなら、パソコン関連予算を毎年計上する必要はなかったわけですから、この問題の大きさと、職員の意識には大きな乖離があるのです。
ファイル管理
調査を行った市役所の具体的な問題点をお伝えします。「個別の業務の効率化はみられたものの、その分ファイルを探す時間が増えたことと相殺した」というものです。「共有フォルダのファイルを管理ができない」といった問題ですが、多くの組織に共通するものです。
実はファイルの管理は私たちが想定している以上に難しいのです。
それは、ファイルは電子データでありながら「もの」と同様の1つ、2つといった数の概念があるためです。パソコンを導入した組織では、それまでの書類や図面がアプリケーションのファイルに姿を変えます。その際に書類や図面の数と同じだけファイルが発生するので「数が多くて何処に何があるのか分からない」となってしまうのです。
そこで、ファイルを管理する必要が生じますが、思いつくのは「ファイルを整理して管理に役立てる」というものです。ファイルには「もの」と同様の性質があり、「もの」の管理には整理整頓が有効ですので、理に適った方法です。
ところが、どこの組織もファイルを上手く整理できないのです。それはパソコン担当者が「共有フォルダのファイルを整理して下さい。」と指示をしても、皆さんが守らないからです。パソコンには「個人で管理するもの」というルールがあるので、皆でファイルを整理するという共同作業に抵抗があるのです。
ファイルの管理が行えないのは、パソコンのルールが使用者の心理面に影響してコンセンサスが得られないためなのです。
そしてファイル管理にはもう一つ問題があります。それはファイルソフトがファイルの整理に向いていないのです。
ファイル管理ソフト
ファイルの整理にはフォルダを用いますが、開けないと中身が分からないことから、この形はファイルの整理に適していません。イメージし易いように、フォルダと同様に、開けないと中身の分からない段ボール箱に書類を整理するところを思い浮かべて下さい。
書類が整理された段ボール箱から必要な書類を手にするには、その都度段ボール箱を開けて探さなくてはなりません。これではあまりに手間が掛かるので実用的ではありません。フォルダの形をしたファイルソフトも同様です。
ファイルが必要になる度にフォルダを開いて探さなくてはならないので実用的ではないのです。加えてファイルソフトは、フォルダを限りなく作成することができるので、構造が複雑になり、ファイルの整理が余計に難しくなるのです。
では、整理に適した形とはどのようなものでしょう。
整理整頓は様々な性質を持つ「もの」をグループ分けして、グループを先に絞り込むことで「もの」を探し易くする工夫です。
ものが入っているグループが分かればその中を探すだけなので、総当たりで探す必要はありません。ネジを整理する場合を考えてみましょう。大きさと形が異なっています。どのようにグループ分けをするのかは、整理を任された人が、使いやすさを考えて決めます。
今度は使う側の人です。整理整頓が効果を発揮するためには、整理された状態から整理の仕方(整理した人の考え方)を読み取れる必要があります。整理の仕方がわかれば、目的物がどのグループに分類されたのか分かるので効率的なのです。
このように整理に用いる道具は、整理の仕方を読み取れる構造が必要なことが分かります。段ボール箱が整理に向かないのもこのためですが、対して書庫は本棚に入っている本が一目で分かります。平面的にグループとそこに入っているものが、一度に分かるので整理の仕方を読み取り易いのです。
目的に適わない道具は労力の割に成果を伴わないことを考えますと、パソコンに付属しているファイルソフトはファイルの整理を目的にしていないと思われます。パソコンが普及して40年が経過しているので、ファイルソフトがファイルを整理し易い形に進化しても良かったはずですが、何故そうならなかったのでしょう。
本棚形ソフト
フォルダはファイルの整理に向いていませんが、マイクロソフト社やアップル社だけでなく、世の中のファイルソフトの全てがフォルダの形をしています。メーカーがファイルソフトを改良しなかった理由は分かりませんが、パソコン偏重主義により情報がメーカーに伝わらなかった可能性があります。
パソコンを特別な存在と考えて高貴なものにでも触れるかのように接している人は、パソコンの問題点に目を向けることはありません。そのため原因をパソコン以外のところに探してしまうので、いつになっても問題が解決しないのです。
同様にファイルの整理が難しいのをファイルソフトの原因とは考えないので、メーカー側に問題点として情報が行かなかったのかもしれません。
いずれにしても、フォルダの形のソフトしか存在しないので、当社は大手企業と協力してファイルの整理に適した本棚の形をしたKami技というファイルソフトを開発しました。本棚の形にすることでファイルの整理が容易になり、従来の書庫と同じ使い方ができるので迷うことがありません。業種や規模を問わずにお使いいただけますので、ファイルの整理ツールとしてご利用下さい。
次項では、パソコン偏重主義の存在に気づくことになったセミナーを紹介します。パソコン偏重主義をリアルに感じられますし、参加者の意識が変わる様子が分かります。
意識改革セミナー
ある会社さんにKami技の営業をしていた時のことです。社長さんは導入を迷っていました。入れたいとは言うのですが、入れるとは言わないのです。そこで私は「入れたら良いではないですか」というと「入れても誰も使わなければ困る」というのです。その時は、リーダーシップの無い社長さんだと思いながら「それなら社員さんに動機づけセミナーを行います。」と、提案したのです。
セミナー当日に会場に入ると、そこには20名ほどの若い男女がいました。
やる気に満ちた若者達であることが伺えました。社長がひと声かけると「はいっ!」と、一丸となって飛び出すような感じです。社長が「誰も使わなければ困る」といったのは、社長のリーダーシップが問題ではなかったのです。
そして、セミナーが始まると社長の危惧を理解しました。みんなシーンとしているのですが良い雰囲気ではありません。「ファイルはしっかり整理している!」とか、「何でそんなものを使う必要があるんだ!」と、そんな不満が聞こえてきそうでした。彼らは、明らかにこのソフトにファイルを整理することに反対なのです。
私は、「この不満がどこから来るのか?」と、しばらく考えた末に、それまで分からなかった、業務が効率化しない本当の理由を理解しました。
そこで気を取り直して、話題を変えて話すことにしました。話したのは、会社とは何かということです。反応がなかったので、そのまま続けました。「会社」と辞書を引くと「利益を得るための集合体」とあります。会社は利益を得るためのものであり、皆さんはそのために出社していることになり、社長はそのリーダーになります。
今回社長は「何処に何のファイルがあるのか分からない」といった状態は効率的ではないので、ソフトを導入してファイルを整理しようと考えたわけです。
しかし、みなさんはどうも社長の判断に反対のようですが、1つ聞かせて下さい。反対の理由は、「ファイルを整理しても業務の効率化には繋がらない」と考えているからでしょうか。それとも、「効率化するかもしれないが、そんなことはしたくない」と思っているのでしょうか。
私は後者ではないかと考えています。ここで不思議なのは、皆さんは社長の指示があれば、それに向かって一生懸命行動する人達のように見受けられることです。そのため、もしも社長が「書類が乱雑なので書庫に整理しよう」といったなら、皆さんは一丸となって行動するはずなのです。ファイルは書類が姿を変えたものなので実質的には同じものです。ところが「書類は整理しても良いが、ファイルはダメ」という、皆さんの考えが理解できないのです。これに答えられる方はいらっしゃるでしょうか。私は別なところに原因があるように思います。
皆さんは、パソコンを操作する上で「パソコンは個人で管理するもの」、「他人のパソコンを勝手に操作してはならない」といったルールを尊重していないでしょうか。そして、「パソコンは個人で管理するものなのに、ファイル整理などという共同作業をしてはならないと考えていないでしょうか。」と、問いただしたのです。相変わらずシーンとしていましたが、その表情から、そう考えていることが伺えました。
パソコンを使う上でのルールが、社長の方針を否定する原因だったのです。そこで、パソコンのルールが個人使用を対象としたものであること、組織にはパソコンのルールが合わないことを時間をかけて説明しました。
すると彼らの目つきが変わり、私の話す内容を理解したことが分かりました。そこで安心してセミナーを終えたのです。
普通の組織
職場に電卓が入り込むまでは、手計算やそろばんで計算していました。発売されたばかりの電卓は高額だったので、一人一台は行き渡りませんでした。そのため職場では電卓をシェアして使ったものです。
組織の効率化の観点から、優れた道具をシェアすることは理に適ったことでした。パソコンは電卓よりもはるかに高額なので、本来ならシェアして使っても良かったのです。ところがパソコンは一人が一台を使うことが、まるで守らなければならないルールのように考えられていました。
面白いのは「他人のパソコンを勝手に操作してはならない」というものです。パソコンは業務を効率化するために、組織の経費で購入したものです。そのパソコンに他人に見られては困るような情報が入っていたのでは、そちらの方が問題なのです。私たちはパソコンのルールを守るばかりに、職場でこのような頓珍漢なことをしているのです。
意識改革セミナーを行った会社さんに数年経って訪れたことがあります。受付をしていた女性がKami技の説明をしてくれました。「本棚にファイルを整理しているので、急に同僚が欠勤しても、私たちがフォローできる体制になっています」とのことでした。
彼女は新入社員なのでセミナーには参加していません。それでも日常業務の中で、ファイルを整理する目的や、Kami技の役割を自然と理解していました。パソコン偏重主義が排除されたフローなら、新入社員でも効率的なファイル管理ができることが分かりました。
社長室に入り「ファイルの管理が素晴らしいですね」と言うと、社長は戸惑っていました。そして「いえ、普通の事ですから」と言うのです。 社長の反応が腑に落ちませんでしたが、しばらくして理解しました。
社長にとって、会社がファイルを整理したり、情報を共有したりすることは普通のことだったのです。それなのに、私が驚いていたので戸惑ったのでした。
この会社は普通のことをしているだけでした。このことは、多くの組織が普通のことができていないことを表すものでもあります。実際に、殆どの組織がファイルの管理ができていないばかりか、関心すら持っていません。
現状は書類が散乱している職場から、あちこち書類を探しているようなものです。市役所の業務が効率化しない理由も、正にこのことを指摘されたわけですが、書庫から書類を取り出すように、必要な時にファイルを利用できれば、どれだけ業務が効率化するでしょう。
組織がパソコンを導入したのは、パソコン関連予算以上に業務の効率化が見込めると判断したためですので、パソコンの運用が正常化すると、想定通り効率化するはずです。
パソコンはもともと情報処理装置ですので、この道具を上手く使えば、従来とは比較にならないほど業務が効率化するのは当たり前なのです。しかし現状は「情報を取り出すのに時間がかかる」わけですから、パソコンという情報処理装置を導入したばかりに、従来なら書庫で行えていたような簡単な情報処理さえも行えなくなるという、ブラックジョークのようなことが起きているのです。
皆さまにはパソコン偏重主義を廃止して、優れた情報処理装置であるパソコンに本来の仕事をさせて、業務を効率化していただきたいと思います。今の時代は、パソコン登場時のようにパソコンを特別扱いしなければならないと考える人はいません。パソコン偏重主義は過去の遺物で運用習慣として残っているだけですので、リセットするのが賢明です。
ただ、パソコン使用者はパソコン偏重主義の中で育ち、現在の状況をパソコン運用の常識と考えているので抵抗するかもしれません。しかしセミナーの経験から、理に適ったことを伝えることができれば、常識と考えていることも変えることができると考えます。
新しく構築したフローでは何を気にすることもなく、効率的な運用が行えるようになるのです。皆さまには是非、職場の意識改革に取り組んでいただきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
弊社では本棚の形をしたファイルソフトKami技だけでなく、効率的な意識改革プロジェクトを用意しています。ご依頼いただければ訪問セミナーにより参加者の意識改革を促し、以降は効率よくパソコンの運用が行えるようになります。興味のある方は、弊社までご連絡ください。